クルマで遠足

何度行っても飽きない街、新しい発見のある街、思い出のある街がある。僕にとって、それが埼玉県の川越だ。最初に行ったのは、学生時代。当時付き合っていた彼女が、この街にいた。「学校から遠いんやけど、実家の街と少し似てるから」。最初は、古めかしい街並みに興味を持っていなかった僕も、彼女に惹かれるのと比例するように、この川越が好きになっていった。「ほら、あの2階の窓見てみぃ。虫かごみたいになってるやろ。明り取りの虫籠（むしこ）窓っていうんよ。」「立派な鬼瓦やね。ほんまこの家、お金持ちなんやろうね」。
彼女の言葉に耳を傾けていると、学校で習った歴史しか知らなかった僕は、恥ずかしさを感じた。何年に大きな戦があっただの、だれそれが将軍になっただの、そんな大事件ばかりを追いかけるのでなく、暮らしの中に歴史を見つける彼女の視点がとても新鮮だった。

それから、もう10年以上経っている。古い街並みの入口にある「タイムズ川越連雀町」にクルマをとめ、二人で歩いた街をいく。優に100年、150年もの歴史がある街だから、当然かもしれないがほとんど何も変わっていない。昔ながらの雑貨屋さん、時計店、飲食店。そして、蔵の街並み。黒い重厚な壁に、仰々しいと言えるほどの大きな瓦屋根。
初めてきた時に彼女がこんな風に教えてくれた。「一見江戸時代風やけど、ほとんどは明治時代のものらしいで」。「明治時代に大火事があって、街のほとんどが焼けてしまって、その対策として織物で賑わってたこの街の豪商が、火に強い蔵造りの家を建てたやんやって」。

以前と違うのは、外国人の観光客が増えたことと、僕が一人で歩いていることくらいか。時の鐘は相変わらず威風堂々と「ゴーン、ゴーン」と時を知らせ、近くの団子屋の焼き団子も相変わらず醤油が利いている。
変わったことと言えば、二人では一度も暖簾をくぐれなかった鰻屋にいったこと。想像と違ったのは店構えのわりに店内が狭かったこと。座敷がひとつに、テーブル席が３つ。メニューもない。この時間は中年の店員さんが一人できりもりしているようで「1,300円、1,700円、2,000円がありますが、どうしますか」。と聞かれ、少し迷った後1,700円のうな重を頼んだ。店員さんは厨房にすぐ戻り小さな店内は僕一人になった。向こうから、プーんと炭とタレの匂いがしてくる。壁を見ると、いつの新聞の切り抜きだろう。色あせて、文字もかすんでいた。
出てきたのは、まさに王道のうな重だった。肝吸いで軽く口を潤し、いよいよ鰻を口に運んだ。濃厚なタレと炭焼きならではの香ばしさ。そして、うなぎの濃厚な滋味。拝みたくなるような味わいだ。大人の味わいだ。あの彼女にも食べさせたかったが、学生時代にこんなものを食べたら、罰が当たるだろう。

店を出て、彼女曰く「品の良い、ヨーロッパのお婆ちゃん」と評していた川越キリスト教会を訪ねた。決して大きくはないが、赤茶色のレンガ造りの建物は大正10年建築。寺の多い街としては異色の存在だが、すっかり街に溶け込んでいる。教会らしく開いてさえいれば、いつでも中を見学することもできる。

ここからは、少し歩を伸ばして氷川神社へと向かった。こちらも決して広くはないが、古き良き佇まいが嬉しい。見所は、絵馬のトンネル。無数に掲げられた絵馬が、見る人を圧倒する。それぞれの願いが、一同に会し、何か大きな願いを創り上げているかのようだ。風が吹くと「カラカラ」と乾いた音を立てる。何を言っているのか分からないが、神様の言葉のようだった。

今日の川越の終着点は、喜多院と決めていた。桜が咲き誇る本殿と、朱色の多宝塔。約300年前に創り上げられた五百羅漢も面白い。仏頂面は一つもない。ニタニタ笑ったり、昼寝をしたり、ひそひそ話しをしたり本当に可笑しい。一体一体彼女と観察して、気に入った羅漢さんに五円玉を置いていった。「これ、あんたに似てるやん」と鼻くそをぼじっている羅漢を見て、言われたのが思い出された。

江戸城から移築された書院式の建物は、徳川家光誕生の間と春日局の化粧の間だ。そこから、眺める奥庭には、枝垂桜が優雅に咲き誇っている。絶景だ。川越の中でも、一番の風景かもしれない。しかし、この風景は彼女とは見なかった。そう、この桜の季節には、彼女は川越から実家へと帰っていたからだ。